石見神楽

大蛇の蛇胴(じゃどう)

石見神楽”大蛇”

神楽を変えた発明

蛇胴は、石見神楽の代表的演目「大蛇(おろち)」には欠くことのできない道具である。

 

明治時代以前までは大蛇は蛇頭をかぶり、ウロコを描いた衣裳を付けて舞われていた。これでは不恰好だということから、提灯の胴からヒントを得て、現在の蛇胴の原型が考案された。はじめて今の蛇胴を使って大蛇を舞ったのが日脚(ひなし)社中といわれ、以後長浜社中を経て各地に普及した。当時の石見神楽は大蛇の頭数も1~2頭だったが、大阪万国博覧会公演で大好評を得たのを契機に、頭数も動きも飛躍的に変化していった。しかし、蛇胴の製法、大きさ、材質は昔とほとんど変わっていない。

 

1年間寝かせた竹を割って削り、40センチ径の輪をつくり、11本を1組として並べたものに蛇胴用に特別に漉いた石州和紙を特殊な糊で重ね貼りする。十分に乾燥させた後、色塗り、ウロコを手描きして乾燥させる。これを9個つないで尻尾を付けると一頭分の蛇胴が完成である。現代ではビニールや、プラスチック、化学のりなど強度の点で優れた素材が見られるが、重量や弾力性、伸縮性などの面で和紙と竹以外の材料では作られない。

この蛇胴を考案した植田菊市(昭和34年没)の技術を受け継ぐ「植田蛇胴製作所」はこの蛇胴を作り続けて120年以上の老舗。全国唯一の技術で今でも年間約80体もの蛇胴を作っている。

石見神楽面

石見神楽”神楽面”

激しい舞を可能にした張り子面

全国各地の神楽では、多くが木彫りの面を使っているが、石見神楽でつける面は楮(こうぞ)で作られる石州半紙を使った張り子面である。石見神楽は他の神楽と比べて舞が激しいために、軽くて動きやすい面が求められ、明治以降次第に和紙製の張り子面が普及してきた。

 

一般に張り子面は、木型や粘土型(素焼きのものも含む)に和紙を貼り、後に型からはずして作る。一方、長浜の面は、原型の部分を粘土で作り、貼り上がった後、原型の粘土を壊して作る。型を壊す方法によって、彫りの深い面が自由に作ることができる。

 

こうして一見木彫り面と見間違えるような面の技法は、浜田に古くから伝わる長浜人形の人形師によって編み出されたものといわれ、面の相や色彩の中にもその影響が強く見られる。 その制作工程は、古い仏像造りなどにも用いられた「脱活乾漆法(だっかつかんしつほう)」に似ている。

 

まず最初に大まかな原型を造り、乾燥した原型の表面を「漆」に浸した石州和紙で包み、漆が乾燥すれば半紙の型の上からさらに漆に浸した和紙で全体を被う。これらの繰り返しを数回行い、原型を壊してはずす。 はずした面に柿渋を十分に塗ってから乾燥を待って、岩絵の具などの顔料で彩色する。最後に馬毛・ヤク毛などで毛植えを施して完成である。 熟練の技と魂が込められた浜田の神楽面は、神楽のほかに魔除けの飾りとしても人気がある。浜田地方では新築祝いや開業祝いなどで贈る習慣もあって、各戸や事業所にはよく神楽面が飾られている。

神楽衣装

石見神楽”神楽衣装”

二つとない豪華絢爛なデザイン

石見神楽で用いられる衣裳は舞衣(まいぎぬ)と呼ばれる。大正年間から次第に華美になり、現在のような金糸・銀糸の豪華絢爛な衣裳となった。

 

石見神楽の衣裳に欠かせないのは黒地に輝く金糸の模様。金糸はそのまま縫い付けるのではなく、模様を描きながら赤糸で一針、一針固定するようにとめていく。

 

衣裳は型紙とりから始まり、刺繍・金糸縫い・仕上げなど全て手作業。

そして分業作用のため、袴などは半年から1年、鬼が着る豪華な衣裳は3~4年かけて仕上げることもあり、金額も1着数百万円するものもある。また石見神楽は八調子の激しいリズムで舞うため、光を反射させる波しぶきを型どった鏡のようなものや、風土を表す荒波、渦巻き、雲などを銅板やガラス玉等であしらった刺繍で奥行きをもたせる工夫も行っている。

 

衣裳は、各社中がそれぞれにデザインを工夫し個性を生かしているため、同じものは一着も無い。最近では、九州や関西などの神楽社中からの注文も増えてきた。

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