郷土石見特集

<記 事> 石見神楽の中国山脈越え(1)

竹 内 幸 夫

 

– 山峽に咲いた交流の華 –


その昔、石見神楽は県境を越えて、安芸の国に伝わっている。

 先方から教えを乞うた事実が残っている。

 「この舞が面白いから」と云う理由で、安芸の地では石見神楽を習おうと云うことになったと云うことだ。これは本当のようである。石見の神楽囃子が、山々にこだましていたものであろう。

 こちらで石見と出雲が隣あっていると同じ位相で、向こうは安芸と備後である。ここが意味深長なところである。石見で奥部の者は、出雲より安芸に身近さを感じる者が、多いのが事実であった。

 広島県の前知事、竹下虎之助氏は石見出身であったが、その回想記を読めば、石見と安芸は何かと通ずる気風の地と、産業面のことや縁組を含む人的交流ほか、いろいろな事例を挙げて述べられている。明治のころ、同じ県民でありたいとの陳情まで行われた事実もあった由である。
 海を持たない者同士の、通い路があったものであろう。
 神楽の安芸伝播は、スムースな流れであったに違いない。
 筆者は平成の時代に入り、向こう側の舞をずいぶんと見せていただいてきた。今回揚げたテーマも、ずっと暖めていたものである。
 「神楽の伝播のことは軽々しく論ずべからず」とは、先人の教えとして、よくわきまえているつもりである。

 ここに視点として、次の三点を立てよう。
 1、石見・安芸の両地に残る、文献・言い伝えなどからの把握に努める。
 2、動きの始まったころの、神職神楽の実態について推察を試みる。
 3、現在両地における、芸態から遡っての詮索を試みる。

 この三点を行き来しながらの論を組み立てて見たい。
 話題は、いわゆる「里神楽」のものであるが、まず広角に、全体の様相から見てゆくことにする。 ページナビへ戻る


[`evernote` not found]

コメントをお寄せください

ピックアップコンテンツ

破線

新着トッピックス 石見の銀山 郷土石見 銀の道ウオーク いわまが

破線


▲このページのTOPへ