郷土石見特集

<特 報> 柿本人麻呂の歩いた石見世界

関 和 彦

 



1、はじめに


島根県は古代において出雲、石見・隠岐の三国で構成されていた。しかし、古代の島根といえば、即「出雲」とされ、特に「石見」は看過され、未だ明確な古代史像は描かれていない。

古代島根、即に古代「出雲」と考えられやすい要因は
(1)史料の残存度、(2)『出雲国風土記』の存在、(3)記紀神話における出雲の位置、(4)出雲大社・出雲国造家の存在、(5)発掘による考古学の成果、(6)研究者の交通事情などが想定されるが、それ以上に古代史研究者の関心が出雲」に限定されていたこともそれに拍車をかけたといえるであろう。

今、概略載せた石見にない出雲の研究環境の優位性に関して、(1)(2)(3)(4)は今後も変わることはないが、研究者が視点、姿勢を変えることにより「石見」古代史研究の停滞に風穴を空けることも出来るであろう。本論はその序幕に過ぎないが、今までの古代石見の道の研究の蓄積を梃子にして地域の観点から古代石見社会を万葉歌人柿本人麻呂を中心に据え、とらえ直すことを目指したい。やはり古代石見は「人麻呂」であることは認めざるをえない。「石見」の地域社会には今も人麻呂が生き続けているのである。
しかし、人麻呂研究者の数だけ人麻呂はいるようである。益田・浜田・江津、そして湯抱温泉と、人麻呂の許可なく歌碑は建てられ、人麻呂自身悩んでいるであろう。

人麻呂自身になりきっている研究者もいる。結果、私の目の前には多くの柿本人麻呂像が提示されているが、どの姿も後ろ向きである。ここではその後ろ向きの人麻呂らしき人に声を掛けることはやめておこう。多分、振り向くのは人麻呂ではなく、研究者自身と思われるからである。 人麻呂の許可、それは研究者個人の熱い思い入れではなく、手続きを経た歴史学的検討を通して得られるのではなかろうか。 ページナビへ戻る


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